氷川丸を見に行ってきました

久しぶりにツーリングに行ってきました。
今回は首都高速を使って横浜の山下公園とお台場のトヨタメガウェブを周りましたので、それぞれ紹介したいと思います。
まずは氷川丸です
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1930年の船ということで戦前建造ですね。こういった記念船は三笠とか宗谷とか案外いろいろとあるものです。
やはり戦争を生き抜いてきた船というのはそれだけで価値がある気がします。
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船尾の形状なんかを見ると古い船なんだなぁということを実感します。
一方船体側面を見ると、北太平洋の過酷な航海に耐えられるように分厚い鉄板がリベット止めされています。
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リベットというのもまた古さを感じますね・・・電気溶接の技術なんてまだ未熟だったし。
ともあれ乗船。一般300円と良心的な価格。日本郵船の博物館もこの後行くのでセットで500円でした。
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1等食堂。
船内に入ると通路なんかは年相応ですが、こういった各部屋は古さを全く感じさせません。このまま使えそうなくらいです。
メニューを見るとすべてフルコース。朝から晩まで軽食を含めて7回も食事があります。
一方3等は別の食堂に分かれていて料理もコースではなく家庭料理・和食中心とのことです。
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これが1等の部屋。充分現役で行ける。
シーツやルームメイキングの隅から隅までピシッとしています。こういうのを行う人を「スチュワード」といいそれをまとめる人を「チーフスチュワード」というそうです。飛行機のスチュワーデスみたいに女性を思い浮かべますが男性がこれらの仕事そしていたそうです。髪の毛から靴下に至るまで身だしなみにはものすごく厳しく、徹底されていたとのこと。
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風呂まであります。
1等の運賃は当時の500円なので現在の貨幣価値にして1円=3000円とすると・・・片道150万円。行程は約2週間なので1日当たり約11万円。1日7食付きで娯楽もあり、個室で風呂付で至れり尽くせり・・・と考えればべらぼうに高いというわけではなさそうです。
ちなみに1番安い3等で110円~なので33万円。ご飯はあるけど娯楽が無く、1等2等のある階には自由に行けず、甲板に出るにも許可が必要という制限はあるものの割とリーズナブルに感じます。こうやって考えるとアメリカという国に旅行に行くのもまったく無理な話ではなかったのかもしれません。
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ちなみに3等船室はこれ。
個人的には十分だと思います。少なくとも北海道へ行ったとき乗ったさんふらわの雑魚寝部屋よりよっぽどこっちの方が良いです(価格が違うので当然ですが)。
そして船長室
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これは船橋の真下にあり、ブリッジと伝声管でつながっています。
当時の外航船は日本でも数少なかった、当時の日本海軍の巡洋艦よりは少なかったと思うのでその船長と言ったらかなりの上の位に位置するのではないかと思います。
ブリッジへと上がると
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こんな感じに見えます。なかなか良い見晴らしです
舵輪など
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舵輪らしい操舵輪です。目の目についている2つのメーターは左右各々の機関の回転計です。
最高18ノットの優秀船です。18ノットと聞くと「そんなものか、駆逐艦の半分くらいか」と思ってしまいますが、軍艦と違うのは巡航速度。氷川丸は巡航15ノットで神戸~シアトル間約4400海里を13日で駆け抜けます。これは少なくとも軽巡洋艦並みの航続距離です。
さらにこれより後には新田丸級や橿原丸級といったさらに高性能な貨客船が就役(するはずだった)。
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船橋内を回ると色々と設備があります。神棚はやっぱり欠かせないとして氷川神社かぁ。さいたまの氷川神社で合ってるのかな>
右のメーターは傾斜計。荒天時は25度ほど傾くことがあったそうです。
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これは方向探知機用の機械。艦船プラモの記事で何度も出ましたが、実物を見たのは(特に機械の方)たぶん初めてです。こういう形してるんですね。メーター内には方位や周波数みたいなのが刻まれています。
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これは戦後のものだと思いますが航海用レーダーも積んでいます。筐体横に銘板が貼ってあり、アメリカのスペリー社製のレーダーのようです。
船橋をぐるっと見たら機関室まで下ります
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直列8気筒4ストロークディーゼルエンジンが2基並んでいます。プッシュロッドから見て分かる通りOHVですね。気分は映画Uボートですがかなり大きいエンジンです。デンマーク製で一基あたり5500馬力。
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船舶用ディーゼルエンジンのクランクやコンロッドは間近で見ると大迫力です。カットモデルもあったので とても勉強になります。でもこれ壊れたら航海中には直せないよなぁ。
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隣り合わせで制御室があります。こちらも見た感じはかなり近代的。それでいてコンピュータなどなかった時代のアナログな感じがあっていいですね。これは船内各部にも言えます。
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各種計器。これ以外にも様々な動弁系がありそれぞれに意味があるのですが半分以上は良く分かりません。あとエンジンが動いてるときこの部屋は相当うるさかっただろうなということは想像に難くありません。
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という感じで一周してきました。今紹介した以外にもいろいろと各部が見れるのでお勧めです。商船は商船で軍艦とは違った構造や見どころがあるので面白いですよね。
ちなみに上の写真は氷川丸の航跡です。特に第二次大戦中の航路が良く分かります。

この後日本郵船歴史博物館も回ってきましたが(こちらは写真NGなので写真は無いです)、やはり戦時中の船舶喪失数、船員喪失についてはかなり重点を置いて展示していた気がします。
日本郵船だけでも戦争で185隻113万トンの船舶を失い、終戦時残っていたのはこの氷川丸を含めて37隻15万トン。戦前の優秀な外航船はほぼ喪失し、残ったのは戦時標準船ばかり。本当なら豪華客船となるはずだった新田丸級や橿原丸級も空母に改装され戦没(隼鷹は生き残りましたが・・・)。
今までは商船改造空母もいいなぁとか漠然と思っていましたし、今でもこういった改装空母は色々な成り立ちがあって面白いとおもっています。しかし、商船会社の方からして見ると海軍から補助金が出ているとはいえ、自社の将来を担う大型貨客船を徴用・空母に改造され、ろくに護衛も付けてもらえず戦線に投入された挙句ことごとく失ったとなればその無念さや悔しさや怒りは察するに余りあります。

こういった過去を見ると、現在でも船会社が自衛隊に輸送を頼まれても中々首を縦に振らない理由の一端が分かります。特に旧海軍の後継である海上自衛隊への不信感もあるのでは無いでしょうか?「貸してっていうけどちゃんと守ってくれるのか、沈めずに返してくれるのか?」などなど。今までは「もっと自衛隊に協力してあげればいいのに」と思ってもいましたが、過去の苦い記憶というのはなかなか消えないものなんですね。船員の死亡率も50%と兵員より高かったですし。

さらには戦後も中東で戦火の巻き添えで対艦ミサイルを食らった商船も出ていますので、こうやって見ると本当に最前線で頑張っているんだなぁということが分かります。
というわけで、最後の文は冗長に過ぎましたが氷川丸でした。船だけ見ていても飽きの来ない展示内容です。
日本郵船の博物館は歩いて15分ほどなので散歩がてら行くのにちょうどいいです。

おまけ、カモメがたくさんいました
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飛んでるところをよく見ましたが、ガル翼というのが良く分かります。
こうやってちゃんと見てみると案外きれいでかわいいもんです。
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Author:とーぽり
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相変わらず車はスイフト、バイクはハヤブサです

バイクも、プラモもアマチュアですが楽しくやってます。最近バイクに乗れてませんのでプラモの記事ばかりです。

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